オーストラリア・ニュージーランドの鉄道を紹介します!
AUandNZ Railfan
Australia and New Zealand Railfan
オーストラリア記念館
Australian Memorial Hall
大阪万博会場から四日市へ移設された大阪万博オーストラリア館パビリオンです。
大阪万博は76の国や地域が参加して開催され、外国パビリオンのうちで少なくとも23施設では全体やその一部移設されています。
それらの中で2012年当時現存していた建造物中オーストラリア記念館は最大規模のものでしたが、
保存費用を自治体が捻出できなくなったため 2013年12月1日に閉館となり、建物も解体されてしまいました。
オーストラリア記念館は三重県四日市市の霞ヶ浦緑地によって建設された緑地)
に1970年の大阪万博から移設されました。移設費用の4億円は募金で賄われました。
四日市市はシドニー港と四日市港の姉妹港提携をしているため、そのシンボルとして日豪の交流の場として利用されました。
三重交通の路線バス富田霞ヶ浦公園線のバス停(オーストラリア記念館)が右側に見えますが、路線は
運休中で、関係機関からの要請および5日前までの10人以上の団体利用のみ運行しています。
オーストラリア記念館の看板。
2005年に開催された愛知万博では、オーストラリア館で巨大カモノハシの展示があり、愛知万博閉幕後はカモノハシと展示パネルが
オーストラリア館に移転されました。
利用者の落ち込んでいたオーストラリア記念館でしたが、巨大カモノハシを展示した年度の入館者数は29,736人で最高を記録しました。
しかし2011年度の入館者数は6,626人と利用は低迷していきました。
施設は多目的ホールと資料館に分かれており、資料館は入場無料でした。
多目的ホールの利用料金が記念館の収入でしたが、ホールの利用料金も公共施設ということもあり、周辺の運動施設と比較して低額に抑えられていました。
日本万国博
オーストラリア
記念館
昭和48年3月竣工
石碑が建てられていました。
オーストラリア記念館展示室の案内看板。
最大の売りである巨大カモノハシをアピールしています。
資料館の入り口は建物の横にあります。
もともとこの位置に出入り口は無く、記念館として移設した際に新たに設けられたものです。
玄関。
入場無料のため、チケットブース等もありません。
入場無料ではあるものの工場地帯の中にあるという立地や知名度の低さもあって、入場者数は低迷していることが窺えました。
2013年の9月前半は、団体のある休日を除くと殆どの日が入場者数が10人を割っていました。
オーストラリ記念館のマーク。
下の名盤は競輪の収益金助成を示したものです。
これはオーストラリアの自転車冒険家に関連しており、この地で自転車愛好家
と友好を深めているそうです。
オーストラリア祈念館はオーストラリア大使館、各州観光局が協力しています。
館内。
カンガルーのはく製やパネル展示があります。
館内全体。
パネルと資料、そして巨大カモノハシが展示されています。
建物の形から見当は付いていましたが、かなり狭いです。
大型バス1台で来ようものなら満員になってしまいそうです。
カウンターにはオーストラリアの本やパンフレットが置かれていました。
入場料のやり取りが必要ないため、昼休み時間帯は無人となっていました。
オーストラリア館の案内と注意事項。
よく見ると内容がオーストラリア記念館のものではなく、愛知万博のオーストラリア館に掲示されていたものだということがわかります。
この看板は愛知万博閉幕後にオーストラリア政府から寄贈されました。
お土産のオーストラリア記念館オリジナルマグカップ。
1つ800円でした。
オーストラリア記念館と共にひっそりと消えたと思われます。
オーストラリア記念館の建物の説明。
恐竜のような見た目のこの建物は、葛飾北斎の描いた富士山と大波をイメージしたものとなっています。
万博という如何に自国らしさをアピールするかという場において、開催国のイメージを象徴した建物は珍しいのではないかと思いました。
大阪万博に当時のおけるオーストラリア館。
付近にはモノレールの線路や動く歩道が隣接していました。
オーストラリアからのパビリオンスタッフもおり、当時外国人は珍しかったためかサインをねだるのが流行ったという話もあります。
大阪万博の会場全景。
オーストラリア館は画像右側の真ん中付近、北大阪急行線とモノレールの近くにありました。
恐らく車窓からも特徴的な外観が見えたことでしょう。
四日市に移転された後もJR関西線の車窓から遠くにオーストラリア記念館を見ることができました。
なお大阪万博会場の外周を走行していたモノレールは横浜市のこどもの国に移転する予定でしたが、閉幕後に移設は中止となっていまいました。
大阪万博時のオーストラリア館の模型。
鎌首を上げた恐竜のような建物はスカイフックと呼ばれ、高さは39mありました。
建物は地下にも展示スペースがあり、移転後に多目的ホールになっている箇所も含めると面積はそれなりに
広かったと思われます。
オーストラリア記念館の目玉である巨大カモノハシ。
2005年の愛知万博で実際にオーストラリア館で展示されたものです。
巨大カモノハシは愛知万博でも人気でオーストラリア記念館に移設されました。
オーストラリア記念館閉館後は津市の歯科医が施設で立ち上げた「2005年万博記念 樋口友好ミュージアム」に展示されることとなりました。
カモノハシを知らない人がこの模型が実寸サイズだと思い込む人が多かったのか、
カモノハシの本当の大きさは5-60センチ程度だと案内しています。
四日市市の公募で「カモン」という名前が付けられました。
カモンの名前の由来は「たくさんの人々をこちらに呼び寄せる(come on)」といった想いが込められているとの
ことでしたが、力が今一歩及ばなかったようです。
愛知万博時台の写真も展示されていました。
ほとんどそのまま移設されたのがわかります。
巨大カモノハシに登らないように警告する案内看板。
なお愛知万博の時は登ることができたようです。
カモノハシの実際の模型と映像が展示されていました。
手をかざすと何かギミックが動作するようでしたが、それが何かはわかりませんでした。
この記念館における唯一の鉄道に関する展示。
700系新幹線の先頭形状がカモノハシに似ていることが紹介されています。
四日市港はオーストラリアからの羊毛の輸入量が国内で一番多いため、シドニー港と姉妹港提携をとっています。
オーストラリアのさまざまな種類の羊毛が展示されていました。
先住民族アボリジニの民芸品も展示してありました。
オーストラリア記念館の展示において唯一の乗り物、自転車です。
オーストラリアの自転車冒険家、スタン・ジャクソン(Stan Jackson)さんの使用していたと思われる自転車です。
自転車に関する案内はありませんが左下に著書が置かれているため、本人の愛車ではないでしょうか。
建物裏手。
恐竜の背中のようです。
スカイフックから延びるワイヤーは富士山をイメージしたものです。
多目的ホールではプロレスも開催していたようで、1000人程度の収容が可能だったそうです。
スカイフック拡大。
多目的ホールの中。
普段は閉め切られて立ち入ることができません。
建物を真横から。
本当に独特なデザインです。
年間維持費は300万円、さらに耐震化工事に約1億3860万円の費用がかかるとのことでした。
奇抜なデザインは様々な角度から眺めたくなります。
なんとか建物だけでも保存できなかったものでしょうか…
付近にはオーストラリアの羊毛をイメージしてか、羊の置物が複数置かれていました。
敷地は四日市港に面しており、付近一帯は工場地帯にあるとは思えない長閑な空気が漂っていました。
大阪万博を偲ぶことができた貴重な建物のオーストラリア記念館。
現在跡地はテニスコートになっているようです。
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