オーストラリア・ニュージーランドの鉄道を紹介します!
AUandNZ Railfan
Australia and New Zealand Railfan
クーマ・モナロ鉄道
Cooma Monaro Railway
CPH型気動車が4両、動態保存されております。
※2015年2月現在、路盤強化工事のため当面運休しているようです。
ニューサウスウェールズ州南東部、キャンベラの南 116kmにある町、クーマ。モナロ地方の牧羊地帯の中心都市です。
第2次世界大戦後のスノーウィー山地の水力開発事業の基地として発展しました。
現在も農牧、商工業のほか、スノーウィー山地への観光基地となっています。
クーマモナロ鉄道はクーマ駅から北上、バンヤンを経由しチャコラまで至る約19kmの保存鉄道です。
かつてはシドニーからクーマを経て、さらに南に線路が延びていましたが、廃線となっています。
クーマ駅舎。1889年に開業しました。
ここがクーマモナロ鉄道の始発駅となります。
チケットもここで購入します。
駅舎内では鉄道模型の展示もあります。
その他にお土産販売もあります。
また、鉄道雑誌等の古本販売もあり、オーストラリアは本(嗜好品全般)が高いので、たくさん購入しても財布に優しい
貴重な場所です。
駅構内はプラットホーム1面と多数の側線、研修庫、ターンテーブルを有しています。
駅舎から線路を挟んで反対側に乗務員宿泊施設があります。
内部も整備されており、ベッドルームやキッチン、ラウンジ等が復元されました。
従業員寮というよりは戸建住宅に近い内装のようです。
信号機は腕木式です。
蒸気機関車の給水塔です。
蒸気機関車の運転はありませんが、かつて使用されていた施設が保存されています。
貨物用プラットホームと思われる構造物。
運転は1日3便。基本的に土日のみの運行です
1,3便は終点のチャコラまで、2便は途中のバンヤン折り返しとなります。
今回は3便に乗車しました。
なお
シドニー国際空港に朝到着後、すぐにレンタカーで向かいましたが、時間的にギリギリでした。
なおバスでのアクセスは本数が僅かなので、日帰りは困難かと思われます。
所要時間はバンヤンまで20分、終点チャコラまでは35分です。
バンヤン折り返し便は10分、チャコラ折り返し便は20分の休憩時間がとられています。
なお、折り返し駅以外は全て通過となります。
クーマ駅を出発しました。
構内を見渡します。
クーマ駅から3kmほど走るとスノーウィージャンクション駅があります。
特別なイベントの時のみ使用されるようです。
クーマ駅から9kmほど走るとバニヤン駅です。
かつては家畜を積み込んでいたようです。
現在は島式ホーム1面2線となっております。
2線のうち1線は側線で、クーマからの折り返し専用となっています。
この側線を使用することで、多客時はバニヤン折り返し運転とチャコラまでの通し運転の2運用を頻度を上げて運転
することができます。
クーマから19km、現在の終点チャコラ駅。1889年に開業しました。
かつては家畜(羊)を積み込んでいたようです。
チャコラ駅舎。
物置のような駅舎です。
駅舎内部の様子。
詰め所と出札窓口らしきものが確認できます。
チャコラ駅の駅舎はかつて失われていましたが、復元されました。
写真は復元された駅舎の設置風景。
かつての羊の積み込み風景。
現在も家畜搬入用設備が残されています。
右側にあるのがチャコラ駅舎。
チャコラ駅より先もキャンベラ方へ線路は続いていますが、木造の橋が水害の影響で渡れない状態となっているため列車は走れません。
チャコラ駅では20分ほど滞在時間が取られています。
発車を待つCPH気動車
チャコラ駅を出発しました。
田園風景の中、クーマを目指してのんびり走ります。
軌道はやや頼りない印象を受ける箇所もありました。
2015年には路盤強化工事が行われるので、現在は強固な軌道になっていることでしょう。
左手の紫色の草はラベンダーです。
ラベンダーの香りが車内にまで漂ってきます。
行く手に小さな木造の橋が見えてきました。
木造の橋を渡ります。
小さな踏切の向こうにバニヤン駅が見えてきました。
バニヤン駅を通過します。
ほどなくしてノースウィージャンクション駅が見えてきました。
ノースウィージャンクション駅を通過します。
自動車が横断する踏み切りは保存鉄道の職員が車で先回りして、手信号で踏み切りの代わりに立ちます。
一人の職員が先回りしているため、列車は車を追い越さない程度の速度で走行します。
こちらの踏み切りは警報機が稼動しますが、職員の手信号も併用しています。
クーマ駅に戻ってきました。
クーマ駅で乗客を降ろします。
この日の運用は全て終了となりましたが、希望者は入庫体験ができます。
転線のため、南の引き上げ線に入ります。
研修庫の前で一旦停止、研修庫の扉が開かれます。
そのまま入庫、他の車両の紹介や見学もできました。
1924年の鉄道の郷愁を感じることができるでしょう。
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