電車の墓場 プルワカルタ その2
Train graveyard Purwakarta INDONESIA part2/2

プルワカルタの駅構内ではゆっくりと撮影ができない廃車体の山。
時間をかけて敷地外の外周から廃車体の山を撮影していきます。

プルワカルタ駅到着後、すぐに駅構内から出されてしまいました。
改札は入場と出場で完全に分かれており、画像は出場口から振り返って撮影したものです。


出場口から望遠で撮影。


駅を出て、反時計回りで廃車体を見学します。

まずは東葉高速1000型と東京メトロ5000系の連結をチェック。
東葉高速1000型の各扉には、
駆け込み乗車は
やめましょう
と書かれた楕円のステッカーが残っています。


KL3初期型Rheostatikを拡大。


KL3Rheostatikの2009年先頭改造車を拡大。

木が邪魔ですね…


現地の人が敷地内を歩いているのに便乗して構内をお邪魔しようかな!?と思いきや、鉄道の 職員でした。

話をすれば構内に入れてくれた可能性もありますが、言語能力の問題もあり不審者として 警戒されても困るのでおとなしく敷地外からの撮影を続けます。


東京メトロ5000系と向かい合うKL3後期型Rheostatik。


KL3Rheostatikの初期型と先頭車化改造の並び。


遠くからだと一瞬メトロ5000系の上に廃車体が積まれているようにも見えます。


給水棟と並ぶKL3Rheostatikの初期型。


道路沿いからの撮影ですが、実際はこのように物置や金網の隙間からの 撮影となります。


バンドン側にあたる廃車体の山の全景。

真ん中の中間車は草が生い茂り、緑の塊となるのも時間の問題のようです。


緑に覆われた車両を拡大。


緑に覆われる車両は、ジブリ作品のワンシーンに登場しそうな風景ではないでしょうか!?。


東京メトロ5000系と向かい合うKL3後期型Rheostatik。

後ろに積まれた錆色の廃車体は放火された気動車のようで、廃車体の山が形成されるよりも 前からプルワカルタ駅構内に打ち捨てられていたようです。
廃車体の山が形成されるようになり、放火車両も解体されることなく積み上げられました。


東京メトロ5000系と向かい合うKL3後期型Rheostatikの全景。


東京メトロ5000系の妻面を拡大。

プレート類は1部を除き撤去されているようです。


KL3Rheostatik2009年先頭改造車を拡大。


KL3Rheostatik2009年先頭改造車の顔を拡大。

同じタイプの顔は都営6000系の先頭車改造にも存在していました。


KL3Rheostatikの2009年先頭改造車の車番を拡大。


山積みにされたKL3Rheostatik。


バンドン側よりジャカルタ方面を望む。

これだけの量の車両が並ぶ光景は圧巻です。


ジャカルタ方の廃車体の山を拡大。


ジャカルタからバンドン方面へ向かう特急アルゴパラヒャガン号がプルワカルタ駅に到着しました。


プルワカルタ駅を発車した特急アルゴパラヒャガン号。

KL3後期型Rheostatikと並びました。


プルワカルタ駅を発車した特急アルゴパラヒャガン号の動画です。

駅を出てすぐに踏切があるため、警笛で注意喚起を行います。


プルワカルタ駅廃車体置き場の全景。


KL3Rheostatikの後期方と初期型の並び。

奥にあるKL3初期型Rheostatikは廃車体の山が形成されるより前からプルワカルタに放置されて いるようです。


KL3Rheostatikの後期方と初期型の並び その2



こちらを向いているHOLEC。

手前の KL3Rheostatikの屋根には台車が詰まれています。


編成を解かれずにレール上に留置されたKL3Rheostatikの後期方。


KL3Rheostatikの後期方があたかも東京メトロ5000系と東葉高速1000型が併結している ように見えます。

実際にはKL3Rheostatikと東京メトロ5000系は連結していません。


プルワカルタ駅のバンドン側にある踏切。

手作り感に溢れています。


踏切からプルワカルタ駅の全景を撮影。


KL3Rheostatikの後期方を拡大。


線路を渡ると廃車体の山に沿った道には背の高い長大な壁が設置されていました。

2015年のグーグルストリートビューでは壁は設置されておらず、道沿いに自由に 撮影できる予定でした。


上記の画像をグーグルストリートビューから。

背の高い壁は見当たらず、線路沿いに簡素なトタンの仕切りがあるだけで廃車体には 容易に近づくことができたようです。


伸びきったパンタグラフと給水棟。

壁は思った以上に高く、手を伸ばした程度では壁の向こう側を撮影することができません。


伸びきったパンタグラフと積み上げられたHOLEC。


ジャカルタ方には巨大なレンガ積みの検車庫があります。


壁が高く、手を伸ばしてもカメラが壁を越えれません
そこで三脚にカメラをセット、セルフタイマー10秒設定で三脚を伸ばして撮影するという 怪しいスタイルで撮影しました。

焼け爛れた廃車体が撮影できました。


壁の向こうの茂みから顔を覗かせるHOLECと伸びきったパンタグラフ。


バンドン方の廃車体の山。


横倒しになったKL3Rheostatikの上にHOLECが積まれています。


台車は草が根を張りやすいためか、大部分が植物に侵食されています。


ジャカルタ方の廃車体の山。
HOLECとHITACHIが並んでいます。


HITACHIを拡大。

HITACHIは1997~1998年に導入された日立製作所の電車で、非冷房のGTO-VVVF制御車でした。
2013年に非冷房車の全廃に伴い引退しました。
この車両は旧塗装のため、非冷房全廃以前から運用を離脱していたようです。


HOLECとHITACHIの並び。

どちらもGTO-VVVF制御車でしたが、冷房を搭載していなかったことで他形式よりも短命でした。


ジャカルタ方の廃車体の山は枕木と平行して2列で並べられています。


給水棟の近くまで来ました。

この位置あたりでは廃車体の山を1両づつ撮影しようと考えていましたが、壁が高すぎて早々に諦めました。


2015年3月のグーグルストリートビュー。

留置線の東葉高速1000型や東京メトロ5000系、その他の放置車の置かれている位置が 同じなので、2年程はこの状態を維持していることがわかりました。


手前の上段の白い車両はHITACHIの新塗装です。
この新塗装の車両は4+4の8両1編成のみが末期に活躍していたそうです。

左奥の旧塗装のHITACHIとの並びが引退後に実現することになりました。


新塗装HITACHIとHOLECの立体的?な並び。


HITACHI、HOLEC、KL3Rheostatik…
ジャカルタで屋根まで満載の人を運んだ電車たちが永遠の眠りについています。


ジャカルタ方にある巨大な検車庫。

2015年3月のグーグルストリートビューでは この車庫のまん前を横切れるはずでしたが、道そのものが壁で分断されて通れなくなりました。


2015年3月のストリートビュー。

この頃は車庫の中は覗けるは廃車体には近づけるはで、自由に撮影ができたであろう ことが悔やまれます。


アジアンな路地裏を抜けると、車庫の反対側に出ることができました。

右側にも同じ構造の建物が続いています。


割れた窓から手を伸ばして内部を撮影。

KL3初期型Rheostatikが留置されています。
KL3初期型Rheostatikはインドネシアで初の電車なので、保存目的で車庫内に保管しているのでしょうか!?


KL3初期型Rheostatikを拡大。

2両が連結されており、どちらも先頭車両のようです。


隣の車庫はガラ空きとなっていました。

検査ピットのレール部分は埋め立てたようです。


こちらが内部がガラ空きの検車庫。

背の高い壁が設置され、人が通れる隙間もありませんでした。


壁に隙間を発見!!

インドネシアのドラえもんに導かれて早速隙間を覗きます。


2015年3月のグーグルストリートビューではこの空き地に露天も出ており、町民の憩いの場 となっていました。
現在は立ち入ることができなくなり、極たまに鉄道職員が通過するのみとなりました。


廃車体の山を拡大。

かつてはこの場所を自由に通行できたため、車両内部に人が侵入しないように窓や貫通扉が 封鎖されていました。
右側にジャカルタコタ行きのローカル列車が停車しています。


HOLECが向かい合った状態で積まれています。


廃車体の山の傍らから発車するジャカルタ行きローカル列車。


プルワカルタ駅を発車するジャカルタ行きローカル列車の動画です。


廃車体のみが残されたプルワカルタ駅構内。




ジャカルタから片道1時間半~2時間半、本数も多くはないですが、時間を見つけてジャカルタから 足を伸ばす価値のあるプルワカルタでした。


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